【心理的リアクタンス】説得型人狼ゲームの崩壊
こんばんちは、蛙です。
「人狼重要記事」のカテゴリーを解除しました。そんな重要でもねえや。(追記:2020/09/02)
この記事では、蛙くんが偉そうに心理学用語使ったりそれっぽいこと書いていますが、ある1つの心理的側面から「人狼ゲームの可能性」について1考察を述べただけの記事です。
この記事は「強要されたくない心理」について述べているんですが、逆に「強い言葉に従ってしまう心理」というのも存在します。このことを前提としてお読みください。なんでもかんでも鵜のみにするんじゃないよ(追記:2020/05/30)
最近、昼夜逆転を直そうと思ったんで、夜の7時までぜったい寝ないぞっていう試みをしたんですよね。まあ失敗して昼夜逆転状態が悪化しちゃってるんですよね。昼の1時ぐらいに寝ちゃいました。ああ体内時計のリズムがもっと正確だったらなあ
≪目次≫
従来の人狼ゲーム:説得を目標とした人狼
人狼は基本的に「説得」をするゲームなんですよね。
ただ、ディベートみたいに「正しいこと言ったら勝ち」「言い負かしたほうが勝ち」なんていう客観的な指標はなくて、相手を丸めこむ!っていうゲームなんですよ。本来は
たとえば
- 霊能に黒いひとを吊るすように説得する
- 真目でみている占い師に~(同上)
- その他、盤面の重要人物を~(同上)
- 占い師決め打ち盤面で、自分が真で見ているほうを進行に吊るすよう説得させる
- 護衛先を指示
- その他もろもろ・・・
っていった感じ
ですから、基本的に最低限必要なことは「自分の黒目」「自分の占い師真贋」の意見を進行役に喋ること・理解してもらうことなんです。極論を言ってしまえば、進行役以外のひと(例えばグレーの市民)を説得する必要はなくなってくるんです。
この辺が従来の人狼ゲームの認識であったとおもいます。
心理的リアクタンスについて
「説得」は本当に有効なのか:心理的リアクタンス
リアクタンス
心理的リアクタンスっていうものをご存じでしょうか?
要は『「〇〇しろ!」と言われると、それをしたくなくなる』という効果です。
例えば、人狼ゲームの発言などで考えると
- 俺は白だ!吊るすな!指定変えろ!
- こっちの占い師のほうが真目だ!
- 〇〇だから、Aさんは怪しい!
といったような発言は、「心理的リアクタンス」を発生させやすい・反発をうけやすいということです
- 俺は白だ!吊るすな!指定変えろ!→「吊るすな」と言われると吊りたくなる
- こっちの占い師のほうが真目だ!→「真目だ」という語感が被説得者の思考の自由を制限しているように思われてしまう(反発心を買う)
- 〇〇だから、Aさんは怪しい!→「怪しい」という語感が~(同上)
つまり、人狼ゲームの本質を理解して熱心に進行役を説得しようとするほど、その説得は失敗に終わってしまいやすいということです。皮肉ですねえ
「心理的リアクタンス」はどんなときに起きるのか?
心理的リアクタンスの回避を行うためにはどうすればいいでしょう?
リアクタンスを発生させずに、相手を動かすにはどうすればよいでしょう?
リアクタンスの研究をしている論文を参考にすると、次のようなときに「心理的リアクタンス」が発生しやすいそうです。
- 決定の自由を制約し、決定に干渉しようとする提案は歓迎されない
- 行動選択肢に関する禁止や制約の提案は受け入れがたい
引用元→今城 周造. 説得への抵抗と心理的リアクタンス--自由の文脈・決定・選択肢モデル (特集:説得の心理学). 心理学評論. 心理学評論刊行会. (2005) vol.48, no.1, p.44-56
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sjpr/48/1/48_44/_pdf/-char/ja
例えば
「お前の結婚相手はお父さんが決めるからな」
「省エネのために冷房は弱く!」
といった言葉は「心理的リアクタンス」の発生余地がすっげーあるということです。
心理的リアクタンスを回避した説得の手法
そんなことを考えると、「心理的リアクタンス」(反発)を回避した説得というのは
- 決定の自由を制限しない:「”わたしは”こう思うな」
- 選択の禁止をしない:「~するな!」「やめて!」はNG
といったようなモノのことを言えるのだとおもいます。
つまり、人狼をするときの心構えとして
- 「疑い先・吊り先の選択権は、あなたにあるのよ」(決定の自由)
- 「わたしはこう思うな!あなたはどう思う?」(意見を押し付けない・制限しない)
といった態度の人狼をすれば、効率的に説得ができるというわけですねえ。
「説得」の手法を調べてみても、やはり基本的には相手を「共感」させることがいちばんの近道のようです。→参考した別サイト:【説得と納得】人が行動を起こし継続するための大原則とは - 東京でワークショップ型読書会に参加するなら未来デザイン読書会
すなわち、人狼ゲームの勝利のためには「説得性」よりも「共感性」を意識したゲームを意識したほうがいいというわけですね
具体的にいえば
といった発言よりも
といった発言が好まれるというわけですね。
無難さとリアクタンス
「心理的リアクタンス」の回避と「無難性」って似ているところがあると思うんですよね
無難なログ、村人からも人狼からも疑われないようなログを書いていれば、そりゃあ自分の勝率があがること間違いないですよね。だって生存日数が確実に増えるんですもん
(参考:勝率について一考察 - 蛙の人狼日記)
「ハナにつかないログ」をつくることは、同時に「心理的リアクタンス」の回避をも行っているように思います
自由の制約・指示されることは反感を生みます。「強弁ログ」とかはやっぱり反発・リアクタンスを呼びやすいんでしょうねえ。そういう意味でやっぱ「物腰よわよわおぢさん」(無難ログ)つええわ
説得ゲームとしての人狼の崩壊(取り扱い注意・・・)
無難なログをつくる人狼ゲーム?
さて、大前提として人狼ゲームは自陣営の勝ちを目指すゲームです。
勝ちを目指すためには、自分ができることをしっかりと行うことがだいじです。全員が勝ちを目指して行動するから人狼ゲームは成立するんです。適当なプレイをしたり試合放棄をすることは紳士協定に反してしまいます。(放棄したくなるような村もしばしばありますがねえ)
ここでもしも
みんなが勝つために「無難な」「反発を買わない」ログをつくることを意識したとします。
みんながみんな「説得」ではなく「共感」を目指してログをつくったとします。
恐らく、そのような人狼ゲームは「対立」が発生しません
みんながみんな仮面(ペルソナ)を被って、いいひとぶった感情を隠した棘のない人狼をすることになります
それってほんとうに人狼ゲームなんでしょうか
「相手の意見を揺さぶることをしようとしない」
「相手が自然とこちら側に動いてくれることを願う」
といった人狼は「"説得”を行うゲーム」と言えるんでしょうか
そもそも説得ってなんでしょう?「相手を自分の都合よく動かそうとすること」は確かに説得と言えると思います。でも「自分の意見を丸投げすること」は説得と言えるのでしょうか。
もはやそのようなゲームは「願い事かなうかなゲーム」になってしまっているとも言えるのではないかな・・・って。(少なくとも全員が「共感させること」に重点を置いたゲームにおいては)
あーでも共感(説得→納得)させるスキルの差はでてくるんか
んー難しいこと考えんの苦手だなあ
少なくともなんかこう「”わたしが”相手を説得させる、言い負かす!」っていう従来の自己が最優先される人狼ゲーム観はもう使えないような気がしてるってことです。そうだそういうことが言いたいんだ。
あーもうこの部分かくだけで一時間ぐらい考えちゃったじゃんしょーもな。
これ見ながら書いてたけどおもしろいよこれ
これからは「共感ゲーム」としての人狼時代の幕開けだ
今までの人狼観の世界はおわったんだ。さあ共感力を競うのだ読者ども
ちょっと中二病くさいな