蛙の人狼日記

元るる鯖中期人狼王が書く何か

効率論の功罪(再投稿版)

こんにちは蛙です。

あんまりにも前の記事が酷くて見るに堪えないんで、書き直しすることにしました。無編集クソ記事タグに入れてたとしても、流石にありゃブログと呼べる出来じゃねえ

該当クソ記事→効率論の功罪 - 蛙の人狼日記

→2020/06/12:非公開にしました。

 

「勝ちを目指す」が何なのか

人狼ゲームにおける効率論って矛盾を抱えたロジックなんですよね。効率論ロジックというのは「レアケースを排除することで効率よく勝つ」っていうロジックです。

なにがおかしいかって「勝ちを目指すゲーム」「敢えて捨てる試合」を作っているってことなんですよね

 

効率論イメージ:90%のケースは追う/10%のレアケなら負けでいい

 

でもこの問題「効率論は捨て試合を作るから悪だ!」じゃ終わらないんですよね。

効率論を使わない人狼って基本的には勝ちにくいんですよ。どうして?それは不合理なケースまで拾わなきゃいけないから。

効率論というのが村にとって不合理な存在を最初から想定しない=「そもそも追ったとしても勝ちにくいパターンを追わない」っていうスタンスととることで・多く勝てるっていう仕組みになっているんです。これをしないっていうのはつまり、その逆をするわけですから当然勝ちに対する難易度が跳ね上がるわけです。

 

これすなわち:より多く勝てるのは「効率論」だけど、人狼ゲームの「みんながみんな全力で勝ちを目指すべき」っていうマナーに則って人狼をするのであれば「勝ちにくいパターンだったとしても、全力で追って勝ちにいくべきだ」ってなるわけなんですよ。わかります?

人狼のマナー及び紳士協定に則れば「捨て試合(負け試合)」を0にする意気込みでプレイしなければいけない・・・そのはずなのに、負け試合をより少なくするためには「負ける試合」を必ず作ってしまう効率論が有効である。不思議ですよねこれ

 

皆さんはどう思いますか?

「勝ちを目指す」人狼ゲーム/「常に全力で勝ちにいく」人狼ゲームとしてどちらが正しいと思いますか?1試合1試合を大事にするのか/トータルでより多く勝つことを目指すのか。どちらを選びます?

 

 

<まとめ>

人狼の大前提:「自陣営勝利を目指すのがだいじ」「勝ちを目指そう」

効率論:「捨て試合」は作るけれど「より多く勝つことができる」

問題点:「勝ちを目指すゲーム」で捨て試合を作っていいのか?

→ただし1試合1試合のレアケースを追うのは非効率的である。そのため勝率という側面では効率論に劣ることが多い

「1試合の勝ちこそ正義」なのか「100試合のより多い勝利が正義」なのか問題

 

 

 

雑感

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こうざい
功罪
 
 
  1. 手柄になる点と責められる点。
     「―相なかばする」

「功罪」ってタイトルにつけたけどこれのどの辺が功罪なんだろうって思った。矛盾してしまっているところが「悪い~…」っていうならむしろ「効率論の欠陥」とかいうタイトルにすべきなのでは…。いいやもう知らね